玄関の横に流しとコンロを置いた形の長屋の台所も明治時代中ごろになると、玄関と台所の間に仕切りが設けられるようになりました。やはり人が出入りする玄関と炊事をする台所がいっしょのスペースではけじめがつかず、使いにくかったのでしょう。こうして分ければ、プライベートな部分を少しは隠せますし、よそ行きの顔で応対することができます。 大正時代に入ると、住まいを少しでも広くするため2階建が登場。路地に面した2階には座敷が設けられ、1階より少し引っ込んだ形にして、そこには物干しをつくりました。こうして路地の圧迫感を減らし、しかも空間を有効に使ったのです。 しかし台所は相変わらず路地に面していたので、炊事、洗濯などは江戸時代と同様に開放的に行われていました。
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