暮らしの場としての「奥」
 将軍は「表」での仕事が終わると、「奥」というプライベート空間(個人的な場所)に移動します。この「奥」は、「中奥(なかおく)」と「大奥(おおおく)」に分かれていました。「中奥」では書物を読んだり、書き物をしたりする将軍の執務室のような場所と、幕府の役人たちが働く事務室がありました。その他、寝る場所、食事をする場所、身支度を整える場所などのプライベートな空間も「中奥」にありました。将軍が寝たり、食べたり、着替えたりする時には、小姓(こしょう)という世話役が何人もついて、将軍の身のまわりの世話をしていました。
 「大奥」は、将軍の妻や女中(じょちゅう)たちが暮らしていた場所です。ここに将軍以外の男性が入ることは禁じられていました。しかし、妻の親戚や医者、僧侶などの限られた身分の場合は男性でも出入りはできたようです。「大奥」での生活は女中たちによって運営され、「大奥」に仕えていた女中は数百人にも上りました。しかも、すべての女中が「大奥」に住み込んでいたため、長局(ながつぼね)という2階建の大きな建物がありました。
 また「大奥」では、花見や七夕、お月見などの現代でもなじみ深い年中行事が行われ、日々の生活を楽しんでもいました。

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