家相の始まり
 みなさんは「鬼門(きもん)」ということばを聞いたことがありますか。もちろん鬼の顔がついた門ではありません。北東の方位のことを指します。家相では「鬼門にトイレをつくってはいけない」など、住まいの向き、敷地のかたち、建物のかたち、間取り、庭の樹木の位置まで、決まりをつくっています。つまり住まいをとりまくさまざまなことを、方位とのかかわりの中で吉凶を占い、良いか、悪いかを判断しているのです。
 このような考え方は古代中国で生まれ、仏教とともに日本に伝わった(5、6世紀ごろ)といわれます。
 その後、日本の風土や慣習などと折り合いをつけながら、宮廷の建物に利用されてきました。今の京都のまちは、平安遷都(せんと)の際(794年)に、鬼門の方角(北東)にある延暦寺(えんりゃくじ)を鬼門除けとしました。また土地選びにも、家相と同じよりどころをもつ風水の考え方が生かされています。
 時代が進み、貴族や武士たちの住まいにも取り入れられるようになりました。実は江戸城もその考え方によってつくられています。このように選ばれ、つくられた街には多くの人が集まり、今でも栄えています。
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