昭和初期から敗戦までの長屋
 昭和になると戦争をするのに物資の増産が必要になり、たくさんの工場がつくられました。そして、その工場で働く労働者たちが暮らす住まいが長屋のスタイルでした。一般的に、1階に6畳と4畳半の和室、台所と玄関、くみ取り式のトイレがあり、2階に6畳の和室と物干しがありました。このころになると、家財道具も増え、茶ダンスや和ダンス、ちゃぶ台などの家財道具が置かれ、この広さで家族5人くらいが暮らしていました。
 第2次世界大戦が始まると、新しい住まいをつくる余裕がなくなり、新たに長屋が建てられなくなりました。また、都市部の空襲が激しくなると、焼失したり、延焼を防ぐために取り壊され、この時期に新旧のたくさんの長屋が消えてしまいました。

「明治から大正時代初めのころの長屋」「大正中期から昭和の初めの長屋」「昭和初期から敗戦までの長屋」